第2話 Pünktchen|Gift 忍者ブログ

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Coterie Novels

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第2話 Pünktchen





 その日も、ふわふわとカーテンを揺らす暖かい風に誘われて、わたしは網戸を引き開けて外に出ようとした。




「ユキ、網戸に穴空いちゃう、やめなさい」
 部屋の主であるこの家の長女は、難しい顔をして勉強机に向かっていたのだが、がりがりと音を立てたせいだろう、わたしが外に出ようとしていることに気づいた。
 外に出ないように、窓を閉められるだろうかと心配したが、杞憂だった。
 長女は少し考えた後、静かに網戸を開けた。
「開けとくから、戻ってくる時もここから入りなさい」
 そう言って、長女は勉強机に戻った。
 この長女は、弟妹達と違って、あまりわたしに構ってこない。かといって、無関心であるわけでもなく、たまにどこからか猫じゃらしなど持ってきて、わたしに遊び相手になって欲しいとせがんでくる。猫よりもよほど気まぐれ屋なのではないかと思う。
 さて、目の前には外への道が開けているのであるが。
(……一応、室内猫の扱いのはずなんだが?)
 前々から勝手気儘に出掛けていたが、いざ「出掛けてよい」と言われると、なんだか悪いことをしてきたような気分になる。
「出掛けないの?」
 長女はしばらく動かずにいたわたしに、不思議そうに問いかける。
 不思議なのはお前の飼育方針だ。
「いつも勝手に網戸開けて出掛けてるじゃん。どうせ満足したら帰ってくるんでしょ」
(……)
 まあ、この状況なら、過保護な弟妹たちに叱られるのは長女なのだろうし。せっかく気遣いを無碍に断る理由もない。甘えさせてもらおう。
 そう決めてしまったら足取りも軽く、窓の外の小さなプランター置き場を伝ってするすると屋根の上へ登っていく。
「行ってらっしゃーい」素っ気ない見送りの言葉。
 ……長女よ、お前はやはりよくわからない。


 良い天気だ。
 くるりと身体の向きを変えて、太陽の光を全身で楽しむ。
 今日も屋根の上は静かで、暖かくて。だんだん瞼が重くなってきた。
 しかし残念なことに、わたしの愛する静かな時間は、願っていたほどには長続きしなかった。
「ユキ! こんにちは!」
 ……また来た。
 無視して狸寝入り(いや、わたしは猫だけれど。)を決め込もうかとも思ったが、気づかれたらもっとうるさくなりそうだ。仕方なく、目の前に降り立った雀を半眼で迎える。
 雀の方はというと、随分ご機嫌の様子である。羨ましい限りだ、本当に。
「ユキ! 今日もいいお天気ね!」
「気が済んだら帰ると聞いた覚えがあるが」
「ええ。先日はお名前を聞けて満足したから、ちゃんと群れに帰ったわ」
 当日限定なのか。
「今日もお喋りしましょう、とっておきの話題を持ってきたの。きっと楽しいわ、保証する」
 またそれか。
 わたしは大欠伸をして見せた。相手をする気はない、と言外に伝えたつもりだったのだが、雀はまじまじとわたしの口を見て、「猫さんの尖った歯も、『犬歯』って呼ぶのかしら?」と斜め上なコメントを述べただけだった。ちなみにわたしも犬歯と言うのは変な気分だがやはり犬歯と表現するのが動物共通であるしわかりやすいだろうとは思う。
 猫と雀が犬歯の話題を続ける不毛さは火を見るよりも明らかであったため、わたしに残された選択肢は、雀の持ってきた「とっておきの話題」とやらに付き合ってやることだけだった。
「その『とっておきの話題』とやらに付き合ってやるから、気が済んだら今度こそどこかに行ってくれ」
 毛繕いをしながら、あくまで気が乗らないことを付言して、雀に話の続きを促す。
 雀は「ありがとう!」と嬉しそうに答える。こいつには自分に都合の良いことしか聞こえないのだろうか。
 すると今度は急に真面目な雰囲気をまとって、秘密の話をするように、声を潜めて話を始めた。

「今日の話題はね、これからお友達として付き合っていくために必要な、大事なことなのよ」

 ……聞き捨てならないことを言われた気がする。
「ちょっと待て」
「ええ、待つわ」
「ありがとう。いや、そうじゃない。……『これから』?」
「ええ、『これから』!」
「『お友達として』?」
「『お友達として』!」
 嬉々として頷く雀に、わたしは生まれて初めてストレスによる頭痛を経験した。この流れはおそらく、わたしの手に負えない事態に繋がっている。
 威嚇するように、不機嫌を目一杯に詰め込んだ低い声で、念のため確認する。
「……誰と、誰が?」
「あたしと、ユキが!」
 それはもう、こちらの不機嫌なんてこれっぽっちも伝わっていないらしく、雀は心から楽しそうに答えるものだから、わたしばかりがひとりでイライラして頭を抱えているのは不公平だろうと、どこかでこの猫と雀を巡り会わせて、噛み合っていない会話を繰り広げるのを面白がって見物しているのかも知れない神様に文句をつけたくなった。そんな神様がいたとしたら雀に肩入れしすぎではないだろうか。わたしにも反撃の機会をくれ。
「それは無理だろう」
「どうして?」
「猫と鳥は捕食者と被捕食者だ。一緒にいるなんて自然の摂理に反する」
「ユキはあたしを食べないでしょう?」
「どうしてそんなことが言い切れるんだか。お前はわたしの気まぐれで、食われるのと免れているだけなんだよ」
「ユキはあたしみたいな腹の足しにもならない小動物を、わざわざ狩って食べるような面倒なことをする性格じゃないわ」
 確かにそんな面倒なことをするつもりはないが、その自信はどこから湧いてくるのやら。
 わたしが呆れていると、雀はなおも黒い小さなくちばしを開く。
「いいじゃあないの、世の中にはどうしてつるんでいるのかわからない二人組なんていくらでもいるわ。猿が犬の毛繕いをしていたり、ウリ坊が猿の子を乗せて猛ダッシュしていたり、狼が羊と平和に暮らすため逃避行をしたけれど狼が記憶喪失になってしまって羊を食べようとした瞬間二人の合言葉で狼の記憶が戻ってようやく二人は安息の地を得ることもあるし、政策に大きな隔たりがあるはずの自民党と共産党が地方選挙で協力したりするじゃないの」
「狼と羊の話はフィクションだし、自共共闘は政治的戦略だ」
 そのとき、わたしはふとスズメの生態を思い出した。
 そうだ。こいつらは確か。
「……なるほど、スズメは典型的なシナントロープだったな」
「指南……?」
「シナントロープ。スズメは人間のそばに生息するだろう。それは、人間の近くにいれば他の動物に襲われる危険性が低くなるからだ」
「まあ、それはその通りかもしれないわね。人間もたまにおっかないこともあるけれど」
「つまり、今のお前はわたしに、人間と同じ役割を果たせと頼んでいるんだろう。わたしが近くにいれば外敵に襲われる恐れが小さくなるからな。なるほど、それならお前の行動にも納得できる」
 口に出してみると、わたしはますますその解釈が正しいような気がしてきた。こいつはいわゆる片利共生を持ちかけているのだ。
 満足して頷いているわたしに対して、雀の方はどこか不満そうだ。
「別にそんなつもりはないけれど、納得してもらえるのならそれでもいいわ」
 雀は首を傾げて尋ねる。
「それで、ユキはその、あたしがお喋りに来ることを許してくれる?」
「……まあ、いいだろう。非力な者を守るのは大きな力を持つ者の道徳的な義務だしな」
 つまりはノブレスオブリージュだ。
 返答を聞いて、雀は無邪気に喜んでいる。
「じゃあ、お話の続きをしましょう。これからふたりが一緒に生きていくために、あたしには必要なものがあるの」
「必要なもの?」
「お名前よ!」
 パタパタと羽を広げて、高い声を出す。
 今度はわたしが首を傾げた。
「鳥には名前がないのか?」
「ペットの鳥でもない限り、ないわ。もともと名前をつけるのは、個人を弁別する必要性が高い人間社会特有の文化でしょう? あたしたちは個を弁別する必要性が低いもの」
 そういうものなのか、とわたしは思った。野生動物の社会事情には触れたことがないので新鮮な情報だ。
 雀は続ける。
「これからユキといっしょにいるあたしは、他の雀とは違うでしょう? ユキには、あたしがあたしであることを弁別するための手段が必要になると思うの。そういうわけだから、ユキに、あたしの名前を考えて欲しいの!」
 わたしはゴロンと寝転がって目を閉じた。
 はっきり言って面倒くさい。
「ねえ、ユキ、考えてる?」
「ああ、考えているよ。じゃあ、そうだ、トリ。トリでいいだろう。トリ頭でも覚えやすい」
「適当‼ もうちょっと捻ってよ‼」
「じゃあ、スズメ、スズメで決定」
「もう‼ いくらなんでも考えていなさすぎだわ‼」
 雀は不満げに羽をバタバタとばたつかせたが、わたしが反応しないので、しょぼんと顔をうつむかせた。
 喜んだり怒ったりしょんぼりしたり、忙しい奴だ。
 わたしは薄眼を開けて静かになった雀を見る。
 雀をじっくりと観察したことはなかったが、こうして見ると面白い鳥だ。地味なトーンだがいろんな色で飾り立てられている。赤茶色の小さな頭。頬から腹にかけては白く、小さな黒いくちばしの下から喉にかけては黒い。頬には黒い斑点があって、人間の女の子のそばかすを連想させた。
 あ。
「……テンコ」
「えっ?」
 雀はうつむかせていた顔を上げる。
 わたしは親切にも、説明を加えてやる。
「どこかの遠い国では、そばかすのある小さな女の子を、”Pünktchen”と呼ぶらしい。お前は身体が小さいし、頬にはそばかすのような黒斑がある。だから、テンコ」
 ちなみに、いつかの金曜日の夜にテレビで放送されていた、古い外国映画で得た知識だ。「短いからトリ頭でも覚えやすいだろう」と悪態も付け加えることも忘れない。
「ちょっと見たまんまの気がするけど?」雀は小さく首を傾げた。
「なんだ、不満か。いいんだよ、名前なんてそういうものだ。わたしだって毛が白いからユキなんだから。『名は体を表す』って言うだろう」
「ううん、不満じゃない、嬉しい。そっかぁ、あたし、テンコかぁ」
 テンコは照れたように身体をくねらせた。気に入ったのだろうか。
 テンコはピョンと飛び跳ねて、わたしに背を向けた。
「じゃあ、今日も気が済んだから帰るわ。またね、ユキ!」
「しばらく来なくていい」
「もう、お友達は大切にするものよ?」
 そう言い残して、わたしの反論を聞くことなく、テンコは飛び立って行った。
「誰が友達だ……」取り残されたわたしは、誰にともなく呟く。
 今日もゆっくり昼寝することができなかった。とぼとぼと長女の部屋の窓へと帰路につく。
 長女はわたしが入ってくると振り返って、「おかえり」と迎え入れた。寒くなってきたからと、窓を閉める。
「なんか、雀の鳴き声が聞こえたけど。友達?」
(誰が友達だ……)
 当然、人間にわたしの声が聞こえるはずなどないのだが、長女は揶揄うように笑っていた。……どいつもこいつも、やはりよくわからない。

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