第1話 「はじめまして」|Gift 忍者ブログ

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Coterie Novels

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第1話 「はじめまして」



 わたしは猫である。
 血統書はない。





 この家の長男のベッドで微睡んでいたわたしは、ピンと張ったヒゲを揺らす風に気づいた。雪の日にこの家に来てからというもの、ずっと閉まっていた窓が、その日は少し開いていた。
 起き上がって、窓に近づく。網戸に爪を引っ掛けて、立て付けの悪いそれをがたがたとずらすと、どうにか通り抜けられるくらいの隙間ができた。ちょっとの恐怖より、外の世界への好奇心が勝った。
 暖かい風が、わたしを迎えてくれた。

 どこかでわたしを呼ぶ幼い声が聞こえる。あの声はきっとこの家の次女だ。
 あの娘はよく身体を撫でてくれて、食事の支度もしてくれるのだが、世話を焼きすぎるところがある。おおかた、家の中にわたしの姿が見えないことに気づいて探しているのだろう。
 姿を見せてやったほうが親切なのだろうが、しかしわたしにもわたしの都合がある。なにせ二日ぶりの良い天気なのだ。じめじめとした空気にさらされた自慢の白くて長い毛を、心地よい陽射しで暖めてやらねばならない。あの娘だって、どうせ撫でるなら手触りの良い毛並みのほうがいいだろう。これはわたしだけのためではない、お互いのためになるボディーケアなのだ。そういうわけだから、わたしは屋根の上で昼寝を続けることに決めた。
 ふかふかの布団の上も気に入っているが、日光で程よく温められた屋根の上も昼寝をするにはちょうど良い。家の中は世話焼きな次女や遊びたい盛りの三女がいて騒がしいが、ここはゆったりとした時間が流れている。初めて外に出た時は少し怖かった、それは正直に認めよう。しかし、この静けさがもたらす安らぎを知ってしまった。そうすると、当初に感じた恐怖などどこかへ吹き飛んでしまって、窓が開いていて天気にも恵まれている日にはこれまさに僥倖と、こうして屋根の上に出掛けるのも躊躇しなくなった。それくらい、わたしはこの静けさを愛しているのだ。
 うつらうつらと、瞼が重くなる。今日も予定通り、気持ちの良い夢を見れそうだと思っていた。

「もしもし、綺麗な白猫さん?」

 そんなわたしの素敵な予定を、ぶち壊す邪魔者が現れるまでは。
 ぱっと目を開くと同時に、素早く身を起こす。
 邪魔者は小首を傾げて、つぶらな黒い瞳でわたしを見ていた。
 そいつは小さなくちばしを開いた。

「こんにちは、白猫さん。今日は良いお天気ね」

 当然のことながら、わたしは不機嫌であった。心地よく眠ろうとしているのを邪魔されれば、どんなに寛大な奴だって不機嫌にもなるだろう。わたしは低い声で問いただした。
「なんだ、お前は」
「ご覧の通り、雀よ。白猫さん」
「見ればわかる」
 そいつが雀であることくらい、わたしにもわかる。雀というのはいつもどこかでチュンチュンと鳴いていて、スズメ目スズメ科スズメ属に分類される、比較的小さな、日本では特段珍しくもない鳥類だ。わたしにだってそのくらいの学はある。
 ただし、わたしも遠目にしか見たことはなかった。わたしの屋根の上にわざわざ降りてくることなどなかったから、面と向かって話しかけてきた雀は、こいつが初めてだ。
「はじめまして、白猫さん。どうぞよろしくね」
 白猫、白猫とうるさい奴だ。だいたい、わたしがネコだと知っていながら呑気に挨拶をしてくるなんて、どういう神経をしているのだ。ネコは鳥類の天敵だろう(もちろん、わたしはわざわざ野鳥を狩って捕食するなんて面倒なことはしないけれど。)。
 馬鹿か。そうか、馬鹿なのだろう。わたしはそう結論づけた。
 馬鹿の相手をするなんてそれこそ馬鹿馬鹿しい。こういう場合はとことん無視するに限る。相手にされないことがわかったら、そのうち諦めていなくなるだろう。
 わたしはもう一度横になって、瞼を閉じた。
「ねえ、白猫さん?」
「起きてるんでしょう? 寝たふり?」
「まあいいわ。ああ、今日は天気が良くなって嬉しいわね」
「眠いの? 確かにお昼寝日和だわ。あたしも空を飛んでいて気持ちがいい」
「そういえば、ここの家の屋根は瓦じゃないのね。水捌けが良くて汚れにくそうな素材だわ」
「でも、黄砂には参っちゃうわよね。きっとこの屋根も、風が吹き付ける西側は一面砂だらけになっちゃうわ」
「今はPM2.5というのも問題らしいわね。鳥類にも影響はあるのかしら? 哺乳類のみなさんでそういうお話はするの?」
「もっと明るい話にしましょうか。そうだ、昨日までの雨はジメジメしていたけど暖かかったわ。ようやく『春が来た』って感じがするわよね」
「そうそう、ここの家の裏に田んぼがあるでしょう。そろそろ田植えが始まるらしいわ、おじさんが田植機を借りる話をしていたのを聞いたから」
「雀はね、春は田んぼで虫を食べるのよ。『益鳥らしい仕事もしなくちゃ、秋に籾米をちょっと頂戴するとき申し訳ないでしょう』って、母が言っていたの」

「いや、それはお前たちの罪悪感の問題であって農家の人間には関係ないだろう」

 思わず口を開いてから、「しまった」と思った。
 雀は嬉しそうに「やっとお喋りしてくれた!」と笑っている。
 対するわたしはきっと今、苦虫を噛み潰したような顔をしている(もちろん、虫なんて食べたことはないけれど。)。
「ねえ、もっとお喋りしましょうよ。お昼寝もいいけれど、あたしとのお喋りもきっと楽しいわ、保証するから」
「……ああ、わかった。付き合ってやるから、その代わり、気が済んだらさっさと帰るって約束しろ」
 雀が「わかったわ」と頷いたので、わたしは仕方なく、身体を起こして雀と向き直った。
 雀は小さな頭の中で話題を選んでいるようで、「そうねえ」などと呟いていたが、なにか思いついたのかパッと顔を上げた。
「まずは、自己紹介から始めるのがマナーよね。白猫さんのことを教えて?」
「自己紹介から始めるのがマナーなんだろう。お前から始めろよ」
「あたしの自己紹介なら最初にしたじゃない。雀よ」
 雀は随分ざっくりとした自己紹介で済ませると、くりっとした目で期待するようにわたしを見ている。なんなんだ。
 わたしは少し考えてから、「わたしは、見ての通りの猫だよ」と答えた。
 すると、雀は急に羽をバタバタと広げながら飛び跳ねた。突然の行動に、わたしも少しビックリする。
「それじゃあ、ネコ科ってことしか紹介していないじゃないの! もっとあるでしょう! 家猫なら名前とか!」
 どうやら不満を表していたらしい。いや、内容不備は双方同レベルだと思うのだけれど。
 しかし、この雀は気が済むまでこの「お喋り」とやらを続行する腹積もりでいることを思い出す。どうやらこちらが内容不備を補完しなければならない立場にあるようだ。まったく、腹立たしい。
 仕方なく、わたしは少し居住まいを正してから答える。
「スコティッシュ・フォールドの父と、チンチラ・ペルシャの母の、」
 顔も覚えていない両親の品種名は輝かしくて、胸を張って言えるのに。
「……ミックス、だよ」
 自分を「ミックス」と呼ぶのは、精一杯の虚勢だった。ペットショップのレシートには、「雑種」と印字されていた。
 雀はこちらの心中を知ってか知らずか、「スコティッシュ……?」と首を傾げながら反復している。
「その、お父さんとお母さんは、どんな猫さんだったの?」
 わたしは「父親の方には会ったこともないんだが」と前置きした上で、娘として一応備えている、両親に関する知識を披露してやる。
「スコティッシュ・フォールドは、耳が前に折れ曲がっているのが特徴的な、丸っこい猫だよ。チンチラ・ペルシャは、豊かな長毛で、わたしの母親はシルバーの毛色だったらしい」
「それじゃあ、あなたはお母さん似なのね。長くて輝く白い毛が素敵だわ」
「まあ、それだけは自慢だね」
 わたしは白い尻尾を見せびらかすように持ち上げた。
 それと同時に、ピンと立った耳をピクリと動かした。残念ながらこの通りの三角耳である。父親の血はあまり強く出なかったらしい。
「わたしの自己紹介なんて、それくらいで充分だろう」
「え?」
「両親は血統書付きだったが、わたしは言った通りミックスだから、血統書もないしね」
「決闘書? 戦うの? 猟猫?」
 ……絶対なにか勘違いしていると思ったが、訂正するつもりも、そもそも話を続けるつもりもなかった。
「気が済んだら帰る約束だろう、わたしももう家に戻る。そろそろ食事の時間なんだ」
 言い訳に使ったが、食事の時間というのは本当だったし、そろそろ日が傾いて、空気がひんやりとしてきた。昼寝をするつもりだったのに、今日はとんだ邪魔が入ったし、しかも、ミックスだと自己紹介なんてさせられるし。散々だ。
「ちょっと、白猫さん。まだあたしが聞きたかったことに答えてもらっていないわ」
 雀は羽をばたつかせて、立ち去ろうとするわたしを呼び止めた。
 わたしは鬱陶しく思いながらも振り返る。
「なんだ、ちゃんと自己紹介しただろう」
「まだお名前、聞いていないわ」
「だから、雑種なんだよ。名前なんかない」
「もう! 飼い猫なんだから、ここの家の人になんて呼ばれているか、って聞いているの! 『雑種ちゃん』なんて呼ばれてるわけじゃないでしょう!」

「……」

 ……一拍置いて、やっと理解した。そうだ、「名前」といえば普通そちらを指す。
 なんだか急に、猛烈に恥ずかしくなった。どうやら勘違いをしていたのはわたしの方らしい。それを隠したくて、ぷいと顔を背けて、なるべく素っ気なく聞こえるように答えた。
「……ユキだよ。雪の日にこの家に来た白猫だから、ユキ」
 ユキ、と雀は鸚鵡返しに(いや、雀だけれど。)呟いた。
 雀は最後に、弾んだ声で言った。

「ユキ! おやすみなさい、またね!」

 わたしは思わず振り向いたが、その時にはすでに、小さな背は遥か彼方に飛び去っていて、ブルーグレーの空にぽつりと打たれた茶色い点にしか見えなかった。

 また来るつもりなのか、あいつ!


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